2007年7月14日土曜日

天然温泉より、天国温泉

 2月3日午後、母が93歳の長寿を全うし天に召されました。正直ほっとしています。母にとっては長い間待ち望んでいた、恵みの日、救いの時でした。「主は折れた葦を切り離さず、くすぶっている灯心を消さず」そっと救いに預からせてくださったと感じています。

 ちょうど1ヶ月前の正月に母を訪ね、次の日には母を連れて、福岡の小郡にあるクララ会に行き、そこでシスター方とご一緒に御ミサを捧げることができました。記念写真も撮り、おせち料理もいただきました。その後、母がぜひお尋ねしたいと願っていた大橋の母の実家に寄せていただきました。母の兄になる方は96歳でまだお元気で、久しぶりに昔話を楽しむ和やかなひと時を持つことが出来ました。

 ひとつ心残りは、母が大好きな温泉に連れて行ってあげられなかったことでした。湯冷めなどして肺炎にでもなったらとの心配もあったからですが、じっさい、このたび肺炎がきっかけで亡くなったわけです。武田哲也のお母さんではないですが、母は今、「道生、なーも心配せんちゃよか。天然温泉より天国温泉のほうがよかと」と言っているようです。

 母は5人の子供を授かったのですが、二人の女の子は、食べるものにも事欠いた戦後まもなくの頃、病気で失いましたし、とりわけ婚約までしていた長男を交通事故で亡くしたときの悲しみはどれほどだったかと思います。それに母は結核をわずらい目もかなり不自由でした。人生の半分以上は入院生活だったように思います。そんななか、母はマリアの名で1968年(昭和43年)クリスマスに洗礼を受けました。私が修練者のときです。

 洗礼の水によって神のことしていただいた母はいま、私のところに来なさい休ませてあげよう」と言われて、天国の温泉に入れてもらっていることと思います。そこは最高の露天風呂です。私たちもいつかそこで裸の付き合いが出来るんですよね。

兄弟ウルバン無事退院。そして…

  1月9日に入院し、翌10日4時間を越える大手術を無事終えて、予定より1日早い19日金曜日に退院できました。摘出された腎臓は両手のひらに乗るくらいの大きさでした。脂肪が半分以上を占めていました。おかげでと言うか、7~8キロ痩せられました。

 21日からの主日のミサをはじめ、すべての司牧活動を再開されたのには驚きました。宣教師魂を見せ付けられた感じです。22日には関西地区の地区集会にも出席し、手術前後の詳しい話を本人から直接聞きました。1日~2日はやはり痛みがあってあまり眠れなかったとのことです。食事もあまり口に合わず辛かったようです。  この間、多くの兄弟たちから見舞いの電話やお祈りを頂き感謝しています。お隣のお告げの姉妹たちは園児たちを、聖体訪問につれてきて、無理やり?お祈りさせたとのことです。お見舞いの品もたくさんいただきました。中でもパンはたくさん頂いて、売るパンが出来るほどでした。

 そんなこんなもあって2月5日から静養を兼ねてドイツに帰国しました。30日間、体も十分休めて、もた元気になってもどって来られる様お祈りください。

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