2014年8月18日月曜日

震災地「宮古」の仮設を訪問(1)

東北大震災の被災地「宮古」を訪問して(1)
私は723日から82日まで、宮古の震災支援のお手伝いに行ってきました。報告が少し遅れましたが、23回に分けて報告したいと思っています。札幌教区サポートセンターではカトリック宮古教会にベースを置き、支援活動を現在まで続けています。なお、昨年6月からボランティアの宿舎は宮古市の佐原に移っています。630日から行われた全道司祭大会のなかで、司祭たちもできるだけ継続的に現地での支援に関わるようにとの話し合いがあり、今回の宮古ゆきとなりました。
出来るだけ早く、安い費用でと考え、新千歳空港からシルバー割引で花巻まで行き、盛岡からはバスで宮古には午後5時には着く予定でした。ところが、「区境トンネル」で乗用車の正面衝突の事故があり、トンネルの中に3時間も閉じ込められることになりました。なす術もなくロザリオを唱えていました。もちろん事故にあわれた方のためにも祈りましたが、半分眠りながら、半分なかなかトンネルを抜け出せないことを愚痴りながらのなす術のない祈りでした。宮古に着いたのは夜の8時過ぎでした。信徒会長のIさんに迎えに来ていただきホッとしました。翌朝ミサの時にIさんが来られ、昨日の事故で同級生の息子さんが亡くなられたので祈っていただきたいとのことでした。現場の重みを痛感させられる出来事となりました。
 
この日から、毎日仮設を訪問しました。宮古にはまだ仮設住宅が60か所もあり3000人ほどの方が入居されたままだといわれています。各仮設には集会所(談話室)があって、私たちはここでカフェをオープンし、お茶やコーヒーの接待をし、バケツにお湯を入れ、足湯のサービスもします。私は最後の晩餐の時、イエスが弟子たちの足を洗われたことを思い起こしました。
 
ここの仮設のおばあさんたち4,5人はお茶を飲みながら高校野球「花巻東と盛岡大付」との決勝戦に盛り上がっていました。ところが、田老から避難して来たというおじいさんはみんなから少し離れて外を向いて座っておられました。田老は「スーパー堤防」ができていて安全だといわれていたのですが、「3.11の津波」はこれを乗り越え、多くの人を飲み込んでしまいました。私は、仮設訪問最初の日でもあり、おばあちゃんたちの輪にも入れず、手持無沙汰にしていたところ、田老から来られたおじいさんに突然、「ちょっと肩揉んでくんねえーか」と言われ、ドギマギしながら10分くらい揉んであげました。その後、別のボランティアのご婦人が「ぜひ足湯を」と勧めました。後で、足湯をしてあげた方から聞いたのですが、そのおじいさんは少しずつ身の上話を始められ、自分の嫁と孫が田老の津波で流されたことを涙ながらに話されたとのことでした。震災後3年が経過した宮古市は、漁業をはじめ産業面においても徐々に回復しており、お祭りやイベントも行われるようになり、復興してきているのは 確かだと思いますが、被災された一人ひとりの心の深みには負いきれないほどの重荷があるのだと感じさせられました。

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