2015年1月27日火曜日

澄み切った幼子のような心になれたら


 釧路の天気はこのところ荒れ模様で、昨日は雪で、今日は深い霧に覆われていました。先週の週末23日,24日は猛吹雪で、厚岸教会はJRで行くことに。駅から教会までの雪道を転ばないように気を付けながら歩いていると、教会のキーを忘れていることに気づきました。締まりのない話です。 その日の午後は、久しぶりの晴れ間になったので名カメラマンの兄弟に案内していただいて修道院の近くの公園に行き「釧路の夕日」を撮ることにしました。
 
 
 ところで、18日から25日はキリスト教一致祈祷週間でした。たまたまですが、18日の夕方、この春、東京の方に転任される牧師先生の送別会のかたちで、釧路市内の牧師会の先生方とお会いする機会がありました。お互い食事を囲みながら、自己紹介を兼ねた近況報告をし、交わりを深めることができました。長老の牧師さんの話によるとこの牧師会は現在300回を数えるキリスト教朝祷会がもとになっており、第一回目はカトリックの教会で開催されたとのことでした。カトリック教会でもう一度ぜひ、共に祈ることができたらと思いました。 
 
  もう一つ興味深い話は、その長老の牧師さんの孫がハリスト教会の幼稚園に通っているとのことですが、ハリスト正教会の若い牧師さんが話されには、同じ幼稚園に通っている自分の息子が、ある日突然聖書を幼稚園に持っていきたいと願ったとのことです。理由を聞くと、友達の子が聖書を持って幼稚園に来ているから、自分も持っていきたいというわけです。

 幼い子供たちは神様のことばをどのように受け入れているのでしょうか。先日、新川の幼稚園でお話をしたときに、クリスマスの劇でマリア様の役をした女の子に「あなたは神様の子を産むでしょう」と言われたときに、なんと答えましたかと尋ねると、「神様のおことばどおりになりますように」と、もう一か月以上過ぎているのにちゃんと覚えていました。

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